今そこにある危機:南海トラフ巨大地震

都市に迫る危機 災害

私は静岡県の東部で生まれて、高校卒業までそこで育った。40年以上前の小学生のころ、私の周りでは東海地震はいつ来てもおかしくない大地震として恐れられていた。学校の避難訓練ももちろん東海地震を想定して行われていたが、気が付くといつの間にか、南海トラフのプレート境界線の東の端、駿河トラフで起こる部分的な(?)大きな地震というポジションが与えられていた。南海トラフは長いので四国沖から紀伊半島沖までに起こる地震を「南海地震」、紀伊半島沖から遠州灘の地震を「東南海地震」、遠州灘から駿河湾までの地震を「東海地震」と呼び分けている。これら3つの地震は、過去繰り返し連動して発生して大きな被害を発生させている。

出典:Wikipedia 南海・東南海・東海地震の震源域

南海トラフ巨大地震(南海トラフを震源として起こる地震)については、その範囲の広さと想定される被害の大きさから、だいぶ想像しにくいことになっている気がする。南海トラフとは、駿河湾から始まる駿河トラフも含めると日向灘まで続くフィリピン海プレートの沈み込み帯にあたる。長さ約700Km、水深4000~4800mの海底の細長い溝だ。そのプレート境界線で過去にはマグニチュード8クラスの巨大地震が100~150年間隔で繰り返し起きている。南海トラフ全体が震源域のこともあれば、一部が局地的に発生したり、それにつられて時間差で別の場所で発生したりと、起こり方はさまざま。

過去の南海トラフ地震

684年 白鳳地震

驚くことに日本書紀には確認できる最古の南海トラフ地震と津波の記録が残っている。記録に残っているのは南海地震に相当するが、東南海地震も起きている可能性があると言われています。諸国で山崩れが起き、家屋や神社仏閣が多数倒壊したとのこと。大きな津波も襲来して多くの船が沈没し、田畑も大きな被害に遭ったようだ。推定マグニチュードは8~9。

887年 仁和地震

前回の白鳳地震から203年後、南海地震と東南海地震が連動した大きな地震だったようだ。五畿七道諸国で建物が倒壊して、多数の圧死者が出た。八ヶ岳山麓が崩壊し、千曲川を堰き止め翌年に決壊し洪水で下流域に被害が及んだとのことなので、山梨や長野、新潟方面まで影響があったようだ。推定マグニチュードは8~8.5。

1096年 永長地震と1099年康和地震

仁和地震から209年後に永長地震が、その2年2か月後に康和地震が起きている。時間差の連動と考えて、合わせて永長・康和地震とも呼ばれている。東南海を中心に東海の方まで震源だった可能性もある。 皇居や東大寺に被害が出て、興福寺・薬師寺などが倒壊。伊勢や駿河で津波の被害があり、木曽川河口付近では、液状化や地盤沈下なども起きたようだ。推定マグニチュードは永長地震が8~8.5、康和地震が6.4~8.3。

1361年 正平(康安)地震

康和地震から262年後。室町前期の南北朝時代に起きており、「正平」が南朝の元号、「康安」が北朝の元号となっている。その後の顛末に従って、「康安地震」と呼ぶべきという意見もある。南海、東南海が連動した大きな地震だ。様々な書物に記録として残されていて、「太平記」にも同事象と思しき表現がなされている。この時も家屋や神社仏閣に多くの被害を出し、津波も広範囲に押し寄せ、大阪にも約3.3mの大きな津波が押し寄せたそう。推定マグニチュードは8.25~8.5。

1498年 明応地震

前回の正平(康安)地震から137年経っている。東南海と東海が連動した巨大地震。紀伊から房総までの沿岸と、山梨でも強い揺れがあったようだ。また特に津波の被害の大きかったことでも知られ、志摩半島から御前崎、伊豆半島、房総半島まで及んでいる。元々淡水湖だった浜名湖が、津波の影響で陸地を削られ、直接海と繋がったり、静岡県沼津市戸田では、津波が36m以上まで達した言い伝えがある。推定マグニチュードは8.2~8.4。

1707年 宝永地震

前回から209年後。南海トラフのほぼ全域で断層破壊が起き、震源域になったと推定され、記録に残る日本最大級の大地震とされる。絵に描いたような南海トラフ巨大地震ということになる。北海道を除く日本国中に影響が及んだ。また、49日後には地震の影響とみられる富士山の宝永大噴火も起きている。現代の私たちが恐れる南海トラフ地震の最悪のモデルケースともいえる。マグニチュードの推定値には8.4から8.9まであるが、計測技術の無い時代で各地の記録に基づく推定による。

1854年 安政地震

宝永地震から147年後の12月23日に安政東海地震、翌日の24日に安政南海地震が起きている。両方をまとめて安政の大地震と呼ぶ。その前後にも、安政伊賀地震・豊予海峡地震も起きていたので、江戸幕府末期の動乱の時代、国家体制がガタガタになっている時に、文字通り大揺れに揺れた。ほぼすべての幕末の志士たちがこれらの地震を体験したはずだ。この一連の大地震が討幕運動に味方したのかもしれないが、外国からも攻め込まれるかもしれない状況での大災害が大変な困難だったことは想像に難くない。推定マグニチュードは8.4。

1944/1946年 昭和地震

安政の大地震から90年後に起きたのが昭和東南海地震と、その2年後に起きた昭和南海地震だ。2年の時間差はあるが、時間差連動として昭和地震と呼ばれる。昭和東南海地震が起きた時は、第二次世界大戦末期で厳しい報道管制が布かれ、国民にはほとんど知らされなかった。また昭和南海地震は、終戦間もない四国や西日本を容赦なく襲った。推定マグニチュードは昭和東南海地震が7.9、昭和南海地震が8.0とされる。

次の巨大地震は?

南海トラフ地震と認識されているものを8つ紹介したが、それら以外にも「南海トラフ地震と思しい」大きな地震も多数起きている。過去を遡ると、巨大地震は私たち人間の都合などお構いなしに襲い掛かってくるのが分かるだろう。南海トラフ地震の周期は100年から150年とも200年ともいわれていて、最後の昭和地震から約80年が経つ。

では、次の南海トラフ地震は、いつどのくらいの規模で襲ってくるのだろう?
下の図は、気象庁のホームページで一つのケースとして紹介されている、南海トラフ地震で想定される震度と津波の高さになる。

出典:気象庁 南海トラフ地震について
出典:気象庁 南海トラフ地震について

なお、この被害想定は、発生過程に多様性がある南海トラフ地震の一つのケースとして整理されたものであり、実際にこの想定どおりの揺れや津波が発生するというものではありません。また、南海トラフ巨大地震は、千年に一度あるいはそれよりも発生頻度が低く、次に発生する南海トラフ地震を予測したものではないことにも留意が必要です。

 南海トラフ地震への対策については、この地震による災害から国民の生命、身体及び財産を保護することを目的とした「南海トラフ地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法」に基づき、被害想定の結果を踏まえて、南海トラフ地震が発生した場合に著しい地震災害が生ずるおそれがあるため、地震防災対策を推進する必要がある地域が「南海トラフ地震防災対策推進地域」に指定され、国、地方公共団体、関係事業者等の各主体がそれぞれの立場で、建物の耐震化やハザードマップの整備等のハード・ソフト両面からの総合的な地震防災対策を推進することとされています

出典:気象庁 南海トラフ地震について

政府の地震調査委員会は2023年1月、南海トラフでマグニチュード(以下M)8~9級の地震発生確率は、10年以内30%程度、20年以内60%程度、30年以内70~80%、50年以内に90%程度もしくはそれ以上と発表している。
私たちは、過去の出来事や教訓を忘れず、正しく恐れて準備を怠らないようにしたい。

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